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この間、愛用していたソニーの2000円くらいのイヤホンの片耳のゴムがなくなってしまって、家にいる間はマックのスピーカーから音を出して動画を編集したり、音楽を聴いたりしていて、なんとなくそれが心地良くなってきたのだけど、ちょうど同じくらいのタイミングでドスモノスの没が「イヤホンは音を左右で分離して届けるから嘘をついている」「macのスピーカーの方がきこえる音とかコンテクストがある」という話をディスコードでしていて深く共感した。イヤホンが作る、耳に音がついてくる状態というものの妖しさというのは確かにあると感じる。それでもイヤホンが嫌いではないし、あのダンゴムシみたいな小さなゴムが1つ無いだけでイヤホンそのものが使えなくなるというのは今時馬鹿馬鹿しくて可笑しい。

人に預けていた撮影用の照明を引き取り、今は部屋で保管しているのですが、使用するときのように三脚を伸ばして置いています。そうすると、部屋に一つの塔のような存在が生まれたような感じがして、安心感があるのだけど、これはきっといつか足を引っ掛けて倒してしまいそうという不安感も込みでの入り組んだ感情なのだと思う。もののけ姫で最も美しいシーンというのは、サンがアシタカに口移しで肉を分け与えるシーンだけど、その次に美しいのはタタラ場の櫓が倒れるシーンです。こういうことを書くと精神分析を齧った人には色々なことを見抜かれてしまうだろうし、事実、自分自身何かを見抜かれたいのかもしれない。