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昨日、父と兄と妹と集まり昼食を摂り、そのまま母の見舞いに行った。金曜日なのにみんな仕事を休んだのかなと思ったけど、昨日は祝日だった。病室に行くのは4日ぶりだが、明らかに糞尿のようなにおいがキツくなっていて、母はもうほとんど会話はできなくなっていた。おれは病気のことはよくわからない。そしてそれを専門に治療している医師もわからないことがたくさんあって、土曜には「すぐにどうという状態ではない」だった母の体は3日後には「もうあまり長くない」になった。約1年半の闘病の中で、「これでよくなった」と安心した瞬間が何度かあった。何もわからないのに安心するというのはおかしなことで、ただ不安と安心という2本の旗を順番に挙げていたに過ぎなかった。本当は何もわかっていなかったのに、不安とか安心とかとりあえず感情を決めていたことは少し愚かな気もするけど、生活というのはそうやって進めていくしかないとも思う。排泄すらままならず、おれたちが来てもほとんど目を覚さず、覚せず、起きても水を飲むこともうまくできず、声を発しても何を伝えたいのか全くわからない目の前の母の存在はよほどリアルなのに、病気のことと同じくわからなかった。

 

道を挟んだ病院の斜向かいが建設現場となっていて、7階の病棟の窓から巨大なクレーン車がいくつか配置されているのが見えた。おそらくマンションが建つのだろうけど、高層マンションを0から建てるのにはどれくらい時間がかかるんだろうか。建物は高ければ高いほど取り壊すのが難しい。戦争とか災害で破壊されない限りは存在し続けるだろう建物。おれの母は今年の花見を迎えられないらしい。

 

日が暮れて帰ることにしたけど、家に帰っても何もできない気がして映画館に行く。柏でロストイントランスレーションがやっていて久しぶりに見た。スカーレット・ヨハンソンの尻と乳。日本酒とウィスキー。ビル・マーレイのなで肩。下手なカラオケ。

 

 

母は59歳で、おれは29歳。母がおれを産んだのは30歳で、おれが30歳になるのは3ヶ月も先か。柏で飯を食って帰ろうと思い、何が食いたいのか考えて、ステーキを食うことにした。ステーキバルみたいなところに入って、ランプ190gとサラダとフォッカチオと赤ワインを頼んだ。普段はおれはステーキは強めに焼いてもらうのだけど、昨日は赤いままのランプを塩やわさびで食って、ワイン一杯で少し酔った。帰ってからさらに飲んで酔って、確かベッドに入って歌を歌って、何かの拍子に少し泣いて、Injury Reserveをiphoneのスピーカーでかけてから寝た。

 

2/25追記

このブログを書いた次の日の朝6時から7時の間に母は他界しました。