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母が病院から実家に戻った。これからもしばらくは週に2度ほどの通院が必要とのことだけど、幸福そうにしている、はず。正直かなり不安になる瞬間もあったけど、本人が前向きでいるなら家族はそれ以上に前向きにならなければいけない。病気とはそういうものなのだと知った。

 

今、ツタヤディスカスを使ってレンタルした北野映画が2本うちにある。ビートたけしは誰かに似ているなと思っていたんだけど、去年死んだ母方の祖父に似ているんだと気づいた。この間友達に、おれが北方遊牧民系の顔をしていると言われたのだけど、おれのそういう顔のつくりはおそらく母方の祖父から受け継いだもので、細目だったり輪郭だったりは遺伝を感じざるを得ない。その友達が言うにはそういう顔立ちは格闘家とか不良に多いイメージがあるらしいのだけど、たしかにたけしはチンピラがよく似合うし、トラックドライバーだった祖父は実際よく喧嘩して、ある時などは鍵をメリケンサックみたいにして相手を血だらけにするから、幼かった母が泣きながら止めたこともあったという話もある。その絵面自体がたけし映画そのものなんだけど。

 

父方の方の祖父は佐渡島で一番立派な寺の生まれだったのだけど、坊主になりたくなくて東京へきて、それから早稲田を出た人だ。二世帯住宅に住んでいたおれはよく祖父に教育された。正確には祖父からの直接の教育というものはなかったと思うけど、家を支配していた空気というものは確実にあった。母は明るい人だけど、その明るさを支えるある種の鈍感さや大雑把な振る舞いが、祖父に細かく怒られていたということは、おれが大人になるにつれなんとなくわかっていったことだ。おれは夏休みに母親の田舎に行くと、太い腕を健康的に焦がした祖父と自分が似ているところが全然ないような気がしていたのだが、それは一緒に暮らしていた方の祖父の教育の賜物だったのだろう。

 

なんだか一方の祖父を悪いように書いているみたいになってしまったけど、両方の祖父から等しく愛情を受けていたと思うし、どちらのおじいちゃんも好きだった。可能性として、おれが母方の祖父と暮らしていたらどんな人間になっていたのかを想像するのはおもしろい。おもしろいけど、それは父方の祖父を傷つけるだろうからやめておくし、ただおもしろいだけでしかない。実際におれが兄妹と父と、祖母と、母と祖父と暮らしていたということは事実であって、事実というのはそれだけで想像よりも遥かに重い。