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決めているわけではないのだけど、ブログを書く頻度が大体月に一度くらいになっています。こういう状況だと、いざ書こうとすると大雑把なことしか書けなくなってしまって、少し惜しいような感じがしています。おれは漱石の小説が好きなんですが、漱石俳人としても優れた書き手であって、だからこそ為せるオブジェクトの描き方、カメラの配置などの技巧が、(言ってしまえばどうでもいいような)人間の些細なドラマを単なるエモから一気に芸術に昇華しているのであって、その域まではいかずとも、せめて何かを書くのであれば日常の中で感覚したことを感覚の段階で記録しておきたいと最近思うようになりました。それをするには、毎日と言わずとも、もう少し頻度を上げなければと思うのですが、文章を書くというのは意外と時間を使うもので、こんなにも制約もない、誰にも気を遣っていない、一円の価値もない文章でさえ、結構なエネルギーを費やすものです。やはり月に一度くらいのペースであると、その間で考えたことが団子状になって抽象化されていったようなものを書きたくなってしまうのは仕方のないことだし、些細なことを書こうとするのは大きな地図を広げて家から郵便局の道順を探さなければいけないような気分になる。

 

昨日は個人的に嬉しい映像の仕事がいただけました。自由度が高く作れるので、そういう信頼をもらえるのはとても嬉しいし、その種の責任なら喜んで負いたい。今年は他にも2本作る予定があって、どちらも自由度が高い。どれも関係がある人からの依頼で、とてもありがたいのだけど、職業みたいな概念で自分をしっかり分類するとしたら、全然知らない人からも普通に仕事を受けられるようにならないと「映像作家」と後ろめたさを持たずに言えないと思うので、早いうちにそういう状態になれるように、全ての制作の“クオリティ”をあげていく必要があるのだと思います。どこまでいってもおれは“デザイナー”ではないのだけど。

 

最近は柄谷行人の「力と交換様式」(めちゃくちゃわかりやすくて面白い本です)、澁澤龍彦「エロティシズム」(まださわりの方しか読んでいない)、原研哉「デザインのデザイン」(デザイナーはどんなに頑張っても“デザイン”のパースペクティブの外には出られない、ということをどれだけデザイナーは自覚しているのだろうか)、國分功一郎「エチカ 読む人の肖像」(去年から読んでたけどちょっと間が空いてしまっている)を読んでいます。読んだ本のことを結構忘れてしまうので、内容を思い返すという意味でたまに本のことも書いておこうと思います。