mi

もっぱら普段の読書は哲学や人文系の本ばかりなのですが、最近ふと量子力学に興味が湧き、講談社現代新書量子力学の哲学という本を読み始めました。少し前から電車で読む用の本として認知科学の入門書も読んでいたのだけど、やはり量子力学の方がより自然科学に近くて新鮮です。タイトルには哲学と入っているけど、これは量子力学における解釈の部分のことを言っていて、実験で確かめることができないところくらいの意味みたいです。この本は高校の物理のかなり序盤で挫折したおれでも面白く読めるすごい本なのですが、著者が科学哲学者なので量子力学の専門家というわけではなく、説明が正確さを欠いていたり、最新の潮流を追えていなかったりするらしいので、今日もう一冊手頃なものを買ってきました。量子力学の話には相対性理論の話も必ず出てくるのでそちらにも興味が湧き、100分de名著の相対性理論も買いました。

2週間くらい前にふと世界史の学び直しがしたいと思って、世界史の網羅的な参考書のようなものを買って、ちょこちょこ開いています。おれは世界史と地理の教養が終わってるので、そこがずっとコンプレックスだったのですが、それをこの歳になって解消しようという気になったのです。あと、中国の古典に疎いのが嫌で、最近アマプラで水滸伝のドラマを見ている。これは原作からの改編がかなりあるらしいのですが、梁山泊だとか林冲だとかの地名や人名が入ってくればいいなくらいの感じで消化しています。物語としては今のところ正直全然面白くなくて、真っ直ぐ勧善懲悪みたいなものなんですが、面白がろうと思って見てないのでべつに苦痛ではない。 


この最近の学びのマイブームは何なのだろうと考える。深く深く掘っていくことに対して自分でストップをかけているような感じがしています。基本的に、自分の変化というのは何かの核を見つけるたびに起こっていくんだと今までは思っていましたし、今もそう思っています。だからこそ狭い範囲を深く熱を持って追求しているのですが、その危険をどこかで感じているのでしょうか。このまま生きていっていいのか。



アインシュタインは26歳で特殊相対性理論を発表しました。浅田彰が構造と力を書いたのも26歳。おれは28歳になろうとしている。窓を開けると冷たい風が入って気持ちいい。構造上、熱の篭りやすいおれの部屋は、パソコンやおれ自身の放熱を溜め込んで入ってきたばかりの外気をなぁなぁにする。窓際の、今いるこの場所だけが、外とつながっている。