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おれが住んでいるのは郊外で、郊外というのは駅の周りの建物の背丈が都心と比べて低いようになっている。郊外の街並みの美しさというのはほとんどこれに起因していて、つまり建物が低いということは必然的に見える空の面積が増えるということで、1箇所として同じ色のないグラデーションの空に雲が点在し、その手前に一切の情緒を失した雑居ビルが配置してあるというレイヤー構造の強調が、郊外の景色のほとんど唯一の美しさを演出しています。おれは歩きながら建物と空の境界線を気にすることが多いですが、都心と田舎は郊外に比べるとあまり面白くない。

 

 

フジロックが開催されているみたいなんですが、現地に行けないのに熱狂するという感覚がおれにはないので、音楽好きたちがこぞって中継を見ているのがなんだか不思議な感じがします。「フェスティバル」ということを考えれば共時的な体験こそが本懐という感じもしますし、「まつりごと」としての形式的手続き、非合理性の享楽があるのでしょうか。蜂にびびるjpegmafiaの短い動画がTwitterに上がってて面白かったので、あとでアーカイブをところどころで見ます。

 

 

積読がおそらく20冊ぐらいある、というか常にそのぐらいに保っているような感じがあるのですが、この先どの本に進むべきかという道が見える時があります。今日まさに道が見えたのですが、道が見えると同時に本を買いそうになるのでまずいです。ちなみに道が見えただけで今読んでいる3冊の本はどれもまだ序盤あるいは中盤です。普段ならどうせいつか読む、というかすぐに読まない本こそ買っておくべきだという信条もあり、本はあまり悩まず買ってしまうのですが、9月に控えた引っ越し資金を貯めなければいけないので、20冊も読んでない本があるのに読む目処も立っていない本を買おうとするなんてありえないのです。おれは人生で貯金をしたことがなく、大きな買い物をする時は人か金貸し屋に借りて買っていました。これは大袈裟ではなく、貯金のやり方、というか感覚がわからなくて、トトロがさつきに傘を手渡された時みたいな完全な手探りで節約をしていて、それでいておれには傘の差し方を教えてくれるさつきが隣にはいないので今おれは多分ぐるぐるといろんな角度で傘を持ってみている状態です。それでも一応雨が防げている瞬間はあるだろうし、なんとかなるだろうとたかをくくってしまています。