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twitterでよさそうな本や映画の情報が流れてきたら、メモのつもりでいいねしています。さっきなんとなく見返してみると、いいねしたきりになっている本や映画がたくさん並んでいて、途方もない気持ちになりました。俺の知らない素晴らしい本や映画はまだたくさんあって、しかもこれから生きていく中で新しいものが世界にどんどん追加されていく。大人になるとは何かを諦めることだと言いますが、本や映画を諦めることもその限りなのでしょうか。さらにいうとおれが死んだ後も執筆や創作は途絶えることがない、そういう事実があり、その途方もない無限性を前にすると逆に生の有限性がありありと立ち現れてきて、その中で何をなすべきかが問われているような気がします。というのは流石に大袈裟だけど、そう思わなければ一冊の本すら選ぶことはできない。無論これも大袈裟です。

 

昨日、カフカとサーカスという本を読み始めました。フランツカフカについての本なのですが、カフカは深夜に自室に籠もって執筆に励み、それが済むと居間にいる妹に朗読して聞かせたらしいです。あるいは「おれは今、小説を書いていたんだ」とアピールするそうです。これは、普通に、ただ単純に、俗にいう承認欲求を満たすためらしく、カフカという人にそんなかわいげがあったんだ、と驚きました。おれもビートを作って、本来はしかるべきところで発表するつもりだったのに、つい嬉しくて誰かに聴いてほしくなってネットにあげてしまうことがありますが、同じですね。よく現代人はSNSで承認欲求が加速していると言いますが、カフカが今いたらかなりイタいことになっていた可能性が高いです。

 

ちなみにカフカは変身と城の途中までしか読んでいないです。城を最後までちゃんと読む人、そういう人は偉いけど、きっと仲良くなれないです。吾輩は猫であるも同じく。これを機に他の著作も読んでみようかなと思うけど、部屋の積読とアマゾンの買い物カゴに入った100冊を越すバーチャル積読、先のいいね欄のメモ群のことを考えると、やはり何かは諦めなければならないように思えます。