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家族に少しトラブルがあって、ここ1ヶ月くらい気を休めるタイミングがなかったのですが、それに加え、近い身内に不幸があったとの連絡を今朝受けました。それでも相変わらずおれの精神は安定圏内を出るわけではなく、ただ神経の緊張状態を他人事のように上から眺めているだけで、また生活における諸判断に対して何か特別な配慮をしているといったこともなく、つまりは見かけ上全く普通に過ごしている。

 

それでも一つひとつを思い返してみると、最近映画もほとんど見てないし、見たとしてもあまり考えなくていいもので、積読も全く動いていない。寝る前にめちゃくちゃマリオがうまい可愛い声の女の人が、ユーザーが作った激ムズコースをクリアする動画を見てるとかなり寝付けることに気づいたのですが、逆に前みたいにゴダールを流しても今は寝れないかもしれない。

 

ずっと変わらず考えていること、というかむしろ考えが加速していることといえば、音楽に関することで、次の作品を具体的にどう形にしていくかということが見えてきてすらいる。もうそういうことにしか熱くなれないのかもしれないし、熱くなれないのだとしたら事実とても悲しいことではあるのだが、他のあらゆる対象に向かうエネルギーが健全に流れているかを考える時、音楽に対するそれと自然と比較してしまっている。それは高校生ぐらいの時からずっとそうで、それは逆を言えば、創作に対する熱をある基準として数値化できるということで、それを少し進めると、それは他のものに代替可能で、要はなんでもよかったのかもしれない。棄却されたあらゆる可能性に対しては架空のノスタルジーをもって弔うことしかできないのだが、奇しくも選び取ってしまった現実には自分が受け入れてもらう他ない。

 

こう書くと、裏方としてやっている仕事とかはそんなに熱量を持っていないように見えてしまうので難しい。自分としては違うベクトルのエネルギーなので、絶対値は比較できるけどただ比較できるということにすぎない。ハロウィンでディオニュソス的なものが渋谷で解放されることの重要さと、それによって軽犯罪が多発するということのけしからなさは、比較はできても比較できるというだけにすぎない。