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新しい家とは、市川駅から南に20分ほど進んだ江戸川のすぐ近くにある築50年の一軒家なのですが、おれが初めて訪れたのは同居人の引っ越しの日でした。それが10月の1日のことで、その日は引っ越し業者が荷物を家に運び入れるのを見届けて(あの体育会系の規律立った動きの傍でリラックスできる人がいるのだろうか。肥満体型のリーダー格の中年社員と、移動が全て小走りの青年×3)、掃除用具を買ってきてざっと掃除をしました。清掃業社が入ってるはずなんだけど目立つ汚れとかでかい埃がかなりある。この家には庭が付属しているんですが、植えてある木(なんという名前の木なのだろうか)の葉が結構茂っていて、近いうちに剪定するかある程度のところで伐採するかしないといけない。あと庭と家の外周に雑草がたくさん生えているので、除草剤を撒くという予定も作りました。

 

IKEAのパイン材のテーブルを買ってきて、ワトコオイルを塗りました。落ち着いたいい茶色になったので、もう少し乾かして、匂いも落ち着いてきたら表面にワックスを塗って完成させます。この家は多分全部が和室仕様だったのをむりやり洋室にしてある家なんですが、張り替えてある床材が本当に安っぽいので、早いうちに床もどうにかしようとなり、クッションフロアを物色しています。ほぼ確定してきたので来週あたりには床の見栄えもよくなるはずです。おれが移り住んでくるのはおそらく1月後とかなので、自分の部屋のカーテンとかベッドはまだ何も用意していない。なのにダイニングの空間だけがどんどん洗練されていって、なんだか偽物の家みたいなものが出来上がりつつあって可笑しい。


去年か一昨年に大学を退職した永井均が「山括弧塾」という私塾を開講していて、その抽選にあたったので週一回通っています。1ヶ月くらいかなと思っていたんだけど、年内いっぱいやるらしい。1日90分(実際は延びて100~120分)、計12回ほどと言っていたので、ちょうど大学の授業と同じ感じです。御子柴善之の『カント 純粋理性批判』をテキストに、超越論的観念論と独在性について説いていくとのこと。今のところベースとなる純理の説明に大きく時間を割いているのだけど、ところどころ話が横滑りしていくのが面白く、またそれを永井本人も楽しんでいるようでした。あと、これはおれが社会科学系の学生だったから一層そう思うのかも知れない(「〜かもしれない」を「〜かも知れない」とテロップに起こしたら2人から別々に「平仮名で」と訂正されてしまったので二度と動画のテロップでは漢字で表記しない。その分ある種の快感を持って、このプライベートな空間でこう表記します)が、人文学(以前、永井は哲学と人文学を明確に線引きしていたが)というのは活字だけでなく講義と合わさることによって何倍もわかりやすくなるように思います。また、今回で言えばカントのカテゴリーとか構想力の話に永井からツッコミが入るのですが、そういうツッコミを入れる人物は著者と読者という歪なパワーバランスを乱すので、他者のツッコミを内面化することは読書の効果を上げることにほかならないと感じます。

永井均という哲学者が、職業としての教師を降りた後でなお教師でいてくれるというのはあらゆる意味ですごく励みになる。アカデミアの世界のことはおれはよくわからないながらも色々と難しいとは思うけど、こういう学者がもっといてくれたらと思う。

 

 

塾は自由が丘で開講されていて、しばらく通うことになりますが、ああいうハイソな街に来ると本当によそ者感を感じていて、あのクソ汚い渋谷や新宿の方が自分にとっては落ち着く。きっと何か間違いがあって懐に余裕ができてもああいう場所には住まないんだろうなと思いつつ、ベッドタウンの実家に帰ると何かしないといけない、と落ち着かない。