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同居人が持っていたエヴァンゲリオンを今日読み終えました。3年前くらいにアニメにトライしたけど、その時はアスカが出てきたくらいで観るのをやめてしまっていたのですが、ようやくエヴァを履修することができて嬉しい。でも漫画を読んだだけではダメで、アニメと新旧映画を見ないといけないらしく、まだ先は長いようです。久しぶりにアクションのある漫画を読んでいて思い出したのですが、おれは明確に苦手なことが2つあって、一つは地図を読むことで、もう一つが漫画のアクションの絵を理解することなのですが、エヴァの漫画はロボ的なモノの動きなので一層訳がわからず、ちょっと大変でした。ちなみに前者は普通に方向音痴という話なんですが、身体感覚としての空間認識がどうしても2次元的にしか広がっていかず、それを上から眺めた時にどんな形になるかということを捉えることができないということで、地図が読める人に話を聞くと、自分がどっちの方向から来たかとかは、動物的感覚でわかるらしく、心底羨ましく思う。おれは何度も通ったような道でも画像の連続みたいな感じで覚えてるので、目印となるものがなくなったりすると途端にそこに辿り着けなくなってしまうし、google mapの現在位置の矢印を見ながらその場でぐるぐる回転してしまうことがよくあり、知ってる人に見られていないことを願いながらどこかに向かっているということがよくあります。漫画のアクションの方の話に戻ると、コマの中に線とスクリーントーンの種類が多くなってくると、それらが何を記号しているのかわからなくなってしまうということで、気を抜くとページが丸ごと抽象画みたいに見えてきてしまう。けどあまりそういった類の話は人から聞かないので、おそらく大体の人はちゃんと作者が意図したような動きを画面によって共有しているのだと思うのですが、おれの逆であらゆるものを記号的に捉えることに長けている人ももしかしたらいるかもしれません。あらゆる人間の認識はある種の記号的認識の形をとっているともいえるので、例えば本質的には記号ではない人の顔も(記号盲とまではいかないけど)記号弱の自分と記号強の人では違った風に見えているかもしれない。

 

最近の悩みといえば本当に引かれてしまうくらいお金がないことなのだが、それでもどうにか人と遊べないかと思っている。おれは読みたてのエヴァンゲリオンの話をしたりしたいだけなんだけど、東京に行くだけで金はかかるし、暖かいところで座るにはコーヒーを飲む必要がある。三宅唱の新作を見るには有楽町まで行かなきゃいけない。