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酒を1年間抜いていたのはいつだったか。たしか一昨年くらいだった気がします。動機は確かにあって、というか確かにあったという方向に自分を持っていくためにいろいろ語ったりした覚えがあるけど、終わってみれば動機というのは思い出す必要がないと思えてくるのでやはり動機なんてあってないようなものなのかもしれません。動機よりも遥かに重要なことは、酒をやめるとどうなるのかということであって、ひいては、それは酒とは何なのかを身を持って知るということなのですが、人には動機ばかり聞かれていた記憶があります。酒を控えるという考えは酒を飲んでいる人に浮かびうるけど、酒をやめるとどうなるのかは酒をやめている人にしかわからない。そしておれは1年の断酒によって酒を飲むとはどういうことなのかという得難い知見を得たのです。


今おれは2年くらいデートをしていない。これは断酒のケースと違って、狙ってというわけではなく、かつてのパッションを失ったというただそれだけのことなのですが、やはり何かをしなくなるということは、それがどういう効果を持っていたのかを知るということにつながっています。

すごくシンプルに、酒にしろデートにしろ、人はある種の変身をしなければ生きていけない。生きていけるかもしれないけど、人間的な生は能動的な度重なる変身体験への投企の上にこそ成り立ちます。変身と言えばカフカ仮面ライダーだけど、どちらも虫への変身です。前者は醜い毒虫で、後者は屈強な甲虫の戦士。どちらの可能性も孕んだ変身をしなければ、人間の内面は硬化してしまう。

さなぎの中身が一度液体となり、己の実態を解体する事実、スリル。饗宴と性事は世界の最後まで漂白されることがないでしょう。