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創作でも言論でも、クリシェに対して特権的な苛立ちが立ち現れるのはなぜなのだろう。何か意見を通すためにクリシェを用いられると本当に無力感に苛まれてしまう。何も言い返す気が起きなくなってしまう。口当たりのいい言葉で気持ち良くなっている人には何を言っても無駄だし、それを前提としたメタ的な意見も通用しないだろうと思ってしまう。けどそういう人を見下したような態度を自分の中に発見することの方が、この事象の本質的な嫌さではある。

 

椅子がソファよりも断然魅力的なのは、それが武器になりうるからであろうか。それとも、「容易に動かすことができない」というソファの特性への不安が自分の中にあるからだろうか。