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文章とは主観を全く排除できない、究極的に閉じた場であり、また執筆というものが有限の選択肢からイメージと近似する言葉を選ぶという行為の連続でしかないという性質上、テキストの中での描写というのは端的に嘘であり、そういう意味では日記とは小説なのだと思います。なのでおれは日記で周りの人のことを書こうとは思わなかったんだけど、今の状況的にあえてそういうことをしてもいいんじゃないかと思った。小説は現実をモデルにしているのに、現実的な小説というのはなく、むしろ小説的な現実がそこら中にあるのは一見不思議ではあるが、それは現実を小説化しているからにすぎない。

 

と、ここまで書いてここ最近の家族についてのことを書こうと思ったんだけど、どう書いたらいいのかわからなくなってしまいました。どこをどう切り取って、今の状況をどう説明したらいいのかさっぱりわからない。おれはまだ現実を小説にする踏ん切りがついていないのかもしれません。文章なんか所詮ここにしかないので、たとえどんなことを書こうとそれは現実に何の影響もないはずなのに、本当に現実が小説化してしまいそうな気がして恐ろしい。文章にすることで、曖昧だった世界の曖昧さが失われる可能性というのはあって、それは帰りの切符をなくすということです。