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ドレッドの人が全員そうなのか、それとも乾燥肌の自分だけなのかわからないけれど、秋になるにつれ空気が乾燥してくるのが少ししんどいです。というのも、ドレッドというのは髪の毛を無理やりに引っ張って乱雑に絡ませて出来上がっているので基本的に頭皮が痛んでいるのに加え、髪がサラサラになってしまうとほどけてしまうという事情でなるべくそういった成分の入っていないシャンプーを使っているので頭皮の保湿には無縁、というわけで、空気の乾燥によって頭が無性に痒くなってしまうという事態が、秋に、人々が気持ちよく過ごせる秋に、頻繁に起こるのです。冬もそうなのですが、湿度が一気に下がる秋の方がよりしんどい。よく初対面の人には、夏は頭に熱がこもりそうですね、と言われるのだけれど、実際にしんどいのは暑いより痒い、であり、重要なのは温度よりも湿度なのです。よく、日本の夏は湿度が高いから、気温がもっと高い砂漠地帯よりも暑く感じる、というようなことを言います。その知識がある程度広まったことにより、多くの人は知識として湿度が感覚にとって大きな比重を持っていることを語れるようにはなっているのですが、ドレッドの人に、秋は頭が乾燥して痒くなりませんか、と言えるほどには湿度の脅威は知れ渡っていません。(そもそもドレッドの頭皮が常に痛んでいて乾燥しがちだということが知れ渡っていないという深刻な事情もあります)

そしてそれ以上に、人々にとって乾燥という状態はあまりにクリーンなイメージによって想起されています。そのことは逆の状態、つまり湿潤、湿りが死や腐敗といったことと深く結びついていることを考えれば自然なことです。川や水辺は水害の名残で死が連想され、ジメジメとした森などの湿地は霊的なものとの相性がよいです。手の届くところでは、キッチンやシャワールームでは水分の拭き残しや生乾きはカビや雑菌の繁殖に繋がります。基本的に湿っているという状態は不快であり、逆説的に乾燥とは無害なものと感じられています。

 

しかし、湿ったところで有機物が腐敗したり、菌が繁殖するというのは、当然だけど微生物の命に水分が必要だからということで、湿りにまとわりつく死のイメージとは小さな生が群なしたものに過ぎない。すなわち真に死(というか無)に近いのは乾燥の方であって、ミイラが肉体を半永久的にその形に留めるように、乾燥とは生死のマクロの運動を殺すものと言えます。乾燥とは時間を停止に導く、いわばタナトスであり、絶えずエロスたる湿潤と闘っているのですが、おれの頭皮はその軋轢を引き裂かんとして痒みという瓦解の契機を生み出します。秋は闘いの季節なのです。もし、亀有に住んだら、中川と荒川に挟まれる形になります。