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昨日は義姉が6ヶ月の甥っ子を連れて我が家にやってきました。甥に以前あったのは確か3ヶ月くらい前。久々に見た彼はひとまわり大きくなっていて、抱っこするとずっしりきました。一丁前に人の顔を判別できるようになったみたいで、俺のことを最初は怖がって泣いていたけれど、自分の唇を弾いて「パッ」と音を出してみせていたらそれが気に入ったみたいで、懐いてくれました。大人になってもある程度そうなのだけど、初めて耳にする音というのは赤ん坊にとってはより直感的に魅力的に聴こえるのだと思います。そういう刺激としての経験を蓄積していくことではじめて、刺激の外にある価値を希求できるようになるのでは無いかと思います。なので彼には甘美な刺激だけでなく、ある種苦々しい刺激も経験してほしい。こういうことは親は決して発想しないし、俺がどうこうするというわけでもないのですが。

 

願わくば、ジャック・タチぼくのおじさんみたいな、大人と子供の中間みたいな叔父さんになってみたいです。現実にああいう人がいたら、じわじわと親から距離を取られて隔絶されてしまうのが目に見えていますが、叔父という薄いつながりの大人がたまに現れて、うっすらと世界を乱してしまうということは子供の成長に良い影響を絶対に与えると思ってます。親戚という偶然的に配置された意味上の存在が、周りの良き大人の構築した現実性を一度破壊していくことで、世界の複雑さ、物質的世界と意味的世界の二重性といった人間が生きるということの本質的な理解を促すのではないかと思います。