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この間映写機の故障で見られなかった三宅唱の新作は結局渋谷で観て、それが一昨日のことでした。

 

 

三宅唱の映画の、美しくグレーディングされたいくつかの風景のカットを観ながら、写真と、フィックスで風景を撮影した動画とが、なぜこんなにも与える印象が違うのかということを考えていました。おそらく、映像というのは実際にあった空間を再現することに過ぎないのですが、写真というのは確かにあったはずだけど実際には誰も捉えられなかったこと、言ってしまえば可能世界的な想像力に近いものなのだと思います。世界に止まってる空間というものは当然なく、動きのないように見える風景でも空気中のチリに反射する光のちらつきなどで完全な静止というものはほぼないのだと思いますが、写真というのはそれをむりやり、場合によっては人間の目のシャッタースピードを超える速度で動きを殺し保存するので、そこにあったけど原理的に出会えなかった現実のようなものを構築していると言えます。そういう意味で、うつるんですがフレアとともに作り出す写真への愛着は、可能世界に想いを馳せるようなSF的、深夜アニメ的感性とも近しいものがある。と考えるのは、おれが最近エヴァのテレビアニメを全部見たばかりだからです。


昨日はOPVを担当したライブのためにまた渋谷に行って、前日に行った映画館の下の階でお笑いを観ました。1部と2部があり、合間の時間にタコベルへ行ったんだけど、タコスを食べ終わって本を読もうとしたところでどうも居心地が悪いような感じがして、食べ終わって割とすぐに店を出て、平成女学院を背にしてジュンク堂へ歩きました。最近トリュフォーの映画を何本か観ていたのと、蓮實重彦のエッセーをつまみ読みしているので、蓮實と山田宏一トリュフォーの本などをパラパラみて、まぁこれは今はいいかとか考えて、結局永井均ウィトゲンシュタイン入門というちくまの入門シリーズの本と、遺構焼却問題という永井のツイート集みたいなものを買ってまたライブハウスに戻りました。